2003~2020年度の川崎医科大学衛生学の記録 ➡ その後はウェブ版「雲心月性」です。

川崎医科大学 研究ニュース 2003年 秋


研究テーマ:

(1)環境物質による自己免疫異常発症機転の解明
(2)骨髄腫細胞をモデルとした悪性細胞の発生・進展機序に関わる因子の抽出

私は,本学6期生としての卆後には附属病院内科への就職希望を持ち,秋に受けた面接では,前院長の山下員司先生に「卆業したら髪を切れよ」とだけ諭されて,それでもようやく5月よりローテーションを開始いたしました(髪が国試時より30cmほど短くなったのは云うまでもありませんが)。2年間の研修医生活,血液内科の門を叩いた後の2年間のシニアレジデント生活では,ひたすら臨床に専心していたのですが,大学院に進ませで頂いた時に,まず培養を習えとの八幡義人教授よりの厳命により,当時,本学の実験病理学助教授でいらっしゃいました元岡山大学医学部長 難波正義先生のご指導の下,当時,国際的にも非常に稀有であったヒト骨髄腫細胞の樹立株を,私が血液内科に入局当時の助教授でいらっしゃった戸川敦先生(その時には既に東大へお戻りになっていらして,現在は国立甲府病院長をお勤めです)が樹立されていた縁もあり,その細胞を使って仕事をしようということになりました。大学院の間には,東京大学医科学研究所病態薬理学教室(三輪史朗教授主宰)への国内留学も叶えていただき,浅野茂隆助教授(当時:前医科研病院長)の直接ご指導の下に,骨髄移植関連の臨床と基礎研究も垣間見ることが出来ましたが,帰倉後,再び骨髄腫細胞の研究に戻り,幸いにも院の間で3株の樹立を得ることが出来ました。

院卆後は3年間再び臨床に明け暮れていた訳ですが,当時の八幡教授から「アメリカ血液学会に行くのに併せてNIHでセミナーをするのだけれど,その時に『リンパ系腫瘍に興味を持っている若手をどこかフェローとして採ってくれる人は居ないか』と私の履歴・業績目録をめぼしい方に配ってくれるように招待主の先生にお願いしてみようか」とのお話を頂戴いたしました。この様なご厚情の縁あって,途中にミネソタ大学を挟んで,悪性リンパ腫の病理診断の第一人者であり現在のWHO分類制定の中心メンバーの一人であります Elaine S Jaffe 博士の研究室で Dr. Mark Raffeld に指導を受けながら,3年近くリンパ腫の分子診断に関るような仕事をする機会を得ることが出来ました。それなりに仕事も頑張り,また家族皆で楽しい亜米利加生活を送っていた訳でしたが,それでもそろそろ帰国を考えないと,と思い始めていた頃,当時,ワシントンDCのメトロが既に地上を走る郊外から始発に乗ってラボに行っていたのですが,朝一番の研究室に八幡教授からお電話があり,本学衛生学植木絢子教授から教室に来ないかというお誘いがあるのだけれどどうだ,という内容でした。母校に戻れる上に,応用医学教室で研究に専念できることは本当に素晴らしいと感じ,帰国に際して現在の教室の一員として働かせていただくことに致しました。

教室のテーマでありました「珪肺症における自己寛容の破綻」の研究の勉強をさせていただきながら,植木教授の広いお心により骨髄腫細胞を扱う研究も並行して進めることを叶えていただきました。それまで内科・血液・癌・培養系の学会しか知らなかった訳ですが,新たに衛生・環境・免疫関連の学会にも多く参加,発表させていただく機会を得ることも出来まして,新たな分野への道程を開いてくださったことも含めて,植木教授から賜りましたご厚情,ご指導には如何に感謝しても過ぎることはないと本当に嬉しく思っております。また,予防医学研究の中でこの2つのテーマをどのような位置付けの中で行うべきかという点につきましては,森本兼曩阪大環境医学教授を始め,和歌山医大竹下達也教授,自治医大香山不二雄教授などの諸先生方から多くのご示唆やご教示を頂戴し,なんとか帰国後8年を経てまいりました。

この春から昇任させていただきましたのですが,幸いにも研究に対して勤勉で熱心で真摯な姿勢を一貫するメンバーに恵まれた教室です。またここ数年一緒に仕事をする機会を得ることが出来ました臨床各科の大学院生達も皆片時も努力を惜しまない素晴らしい若者ばかりで,私自身の緩みそうな気持ちを戒めてくれております。

このように振り返ってみますと,本当に多くの諸先輩方が体現されてらした医学研究の学徒たるべき姿勢というものの道標を,私もなんとか頑張って一緒に見つめてみようという気持ちだけでこれまで歩んでくることが出来た様に感じられます。

今,改めて教室の2つのテーマの礎を確固たるものとすべく,努力を惜しまない決意を新たにすると共に,学内の先生方からのご指導ご支援を何卒宜しく賜りますよう,お願い申し上げたく存じます。